私の投資信託による運用の状況と、投資信託全般の話題についてのブログです。

2007-11-24

ウェブ時代をゆく 感想

初めて読書感想文ぽいものを書いてみます。

「ウェブ進化論」「フューチャリスト宣言」も読んでいましたが、劇的に刺激されたということはなかったです。今回の「ウェブ時代をゆく」を読んで感想をブログに書き込もうと思ったわけは、「刺激されていない」と感じつつも、新作を読み続けている事実に、結局は「刺激されている」のかもしれないと感じたことです。

まず、全体の感想。
ウェブの進化がすごいってことは、誰しも感覚的に分かっているのだと思いますが、それが「一身にして二生を経る」ことになるのか、「もうひとつの地球」になるのかどうかは私にはまだわかりません。「新しい職業」に就くために、著者の掲げる「ウェブリテラシー」が本当に必要かどうかも?なところです。また、そういうところにすでに住んでいるヒトを紹介されていますが、プログラマーがほとんどで(たまに著者の好きな将棋ネタが出てくる)、自分の脳みそ取り込もうとするとコンパイルエラーが生じる場合もあります。

ただ、実は本作はその「ウェブ」を吹き飛ばしてしまって「時代をゆく」としても読めるものであり、その部分について共感する部分というか、「あ、似たような感覚をもったことが私にもある」と思った箇所があり、それを発言したかったのがこのエントリの目的であるのです。

それは、第4章ロールモデル思考法のなかの次の部分。

さらに心に強度を残した本を直感で書架から選んでいるうちに、大学時代に読んだまま放置してあった『孤高の挑戦者たち』(今北純一著、日本経済新聞社)が、私に強い信号を発していることに気づいた。最初に読んだときはまだ高速道路を私なりに走っていた頃だったので、「信号の存在」だけがかすかな記憶として残っていただけで、何が書かれているのかを忘れていた。

これは著者が「けものみち」で何をするのか考えていた時のことです。

わたしの場合は「けものみち」(著者の考えるけものみちではないかもしれない)に後先考えずに「えいやっ!」と入り込んでしまったのですが、「なんで入り込んでしまったのだろう」と振り返って考えていたときに、わたしも大学時代に読んだ本が発していた「強い信号」を思い出したのです。それは村上龍氏の書いた本であることは、覚えていたのですが、タイトルや信号の中身は忘れていました。

そこで、ウィキペディアで「村上龍」の著作を眺め、「あっ、これだ」と思い出したのが、『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界Ⅱ』です。タイトルがわかったので、押入れのダンボールから取り出して読んでみると、私にとっての強い信号は「圧倒的な危機感をエネルギーに変える作業を日常的にしてきたか」という一文だったことが判明しました。

上記の言葉で自分の生き方を考えるようになったのですから、それだけでも幸せに思います。


「ウェブ時代をゆく」の著者梅田氏が、ウェブ上の感想を読みまくっているらしいので、私なりに「人を褒める」ことをしたこと本人に伝えたくて、このエントリを書いてみました。

ところで、「圧倒的な危機感をエネルギーに変える作業を日常的にしてきたか」という言葉は、著者が若いネット・アスリートたちに贈った「Only the Paranoid Survive」という言葉に通ずるものがあると感じます。

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